「こんなこと、起きなければよかったのに」
「あのとき、なぜ止めなかったんだろう?」
そんなふうに感じた出来事、あなたにもありますか?
私にはあります。
たとえば、私が体験した出来事――
信頼していた人から詐欺に遭い、それまで築いてきた資産のほとんどを失いました。
あのときの喪失感、絶望感は、言葉ではとても言い表せません。
そして、「どうして私は気づけなかったのだろう?」と、何度も自分を責めました。
でも、しばらくして気づいたのです。
もしかしたら私は、あの時すでに“何か”を感じていたのかもしれない。
「止めようと思えば、止められた流れだった」のかもしれない。
けれど、どこかで“止めなかった”私がいたことにも、薄々気づいていました。
今日はそんな経験を通して見えてきた、
“人生で起こる出来事”の、ちょっと違った捉え方を、
私自身の内省とともに綴ってみたいと思います。
🌿Q&A形式:問いかけながら気づく時間
Q1:**それって、もしかしたら…
自分で“仕掛けた”出来事だったのかもしれない?**
A:
こんなふうに考えるなんて、最初はとてもじゃないけれど無理でした。
「そんなバカな…」と、何度も思いました。
ふと…我に返った時、こう思ったのです。
「もし、人生に“偶然”がないのだとしたら――」
あの出来事は、やっぱり、
私に“あること”を教えようとしていたことになる…ではないか。
たとえば、過去に私が経験した病気――
若い頃、寝たきりになるほどのアトピーの悪化を経験しました。
そのときは、ただ苦しくて、悲しくて、誰にも会いたくない…そんな日々でした。
でも振り返ると、
その経験がなければ、のちに出会う“深い苦しみを抱えた人”――
つまり、戦争によるトラウマを背負った夫の痛みを、
本当の意味で理解することはできなかったと思うのです。
そう考えると、
「あの出来事は、未来へと繋がる“橋”だったのかもしれない」
そんなふうにも感じるようになりました。
Q2:じゃあ、なぜ“止めなかった”の?
A:
正直に言うと、私の中にも「これはちょっと変かもしれない…」という違和感はありました。
でも、どこかで見て見ぬふりをしていた。
それでも「信じたい」「うまくいってほしい」――そう思っていたのです。
今なら、こう言える気がします。
「止めなかったのではなく、“止められなかった”のでもなく、
“止めないことにも意味があった”…のかもしれない」
魂のどこかが、あの体験を必要としていた…のかもしれない。
それは決して、責任を手放すための言い訳ではありません。
むしろ、
「あの流れの先にしか受け取れないものがあった」
という実感が、いま確かにあるのです。
Q3:起きてしまったことを、どう受け止めればいいの?
A:
起きてしまったことに、悔しくて、情けなくて…。
でも、時間が経つにつれて、少しずつ見えてくるものがありました。
「この出来事があったから、私はこういう視点を持てた」
「この痛みがあったから、人の痛みに寄り添えるようになった」
そう気づいた瞬間から、
出来事は“問題”から“問い”に変わっていったような気がします。
意味を無理に見つけようとしなくても大丈夫。
でも…
もしあなたの中に「もしかして…」という感覚が芽生えたら、
そこから、新しい物語が始まるかもしれません。
Q4:それが“未来と繋がる”と知ったとき、どう変われるの?
A:
今の私は、夫の過去――
戦場で命をかけて生き延びた壮絶な体験と、彼の抱える深い傷に日々寄り添っています。
でも、もしあの詐欺に遭っていなければ。
もし、アトピーで絶望を味わっていなければ。
**人の痛みに「心から共鳴する力」**は、私には育たなかったかもしれません。
過去に起こった出来事の“意味”は、
あとになって「未来の自分」が教えてくれることがあるのだと思います。
そして何より――
“誰かのために使える痛み”に変わったとき、
それはもう、ただの悲劇ではなくなっているのです。
🌸最後に、あなたへ問いかけたいこと
あなたが今、向き合っている出来事――
それは、ただの“問題”でしょうか?
それとも、
**未来のあなたから届いた、“魂の問い”**かもしれませんか?
出来事の意味は、誰かが決めるものではありません。
あなたが、自分自身にどんな意味を与えるか。
それが、人生の景色を変えていくのです。
今日のあなたの痛みも、涙も、
きっといつか誰かの光になります。
それを信じて、私は今日も、生きています。
✍️あとがきに添える一文:
※これは私自身の経験をもとに綴った、ひとつの視点です。
すべての人に当てはまるものではないかもしれませんが、
同じように何かに悩み、立ち止まっている方の心に、
小さな灯りのように届けば幸いです。